塾と公文式の違い!?学習の土台作りがあってこそ学習意欲が育まれる
Q.田島先生は公文式の価値をどのように見ていらっしゃいますか?
私が考える公文式の価値は3つほどあります。
1つ目は、発達心理学の原理を見事に包括しているシステムであるという点です。
私は公文式と出会う以前、大学附属の幼稚園で子どもたちに数や言葉を教えていたのですが、なかなかうまくいきませんでした。
その時に、公文公(くもんとおる)会長の『公文式算数の秘密』(廣済堂出版)を読んで、「こんな画期的な教育システムと教材があるのか!」と驚きました。その内容は、後に10年間くらいにわたって研究した結果、じつに見事に発達心理学の原理を包括していたのです。
しかも、私ども玄人でも舌を巻くような実践レベルのシステムであるということに大きなインパクトを受けました。
2つ目は、障害(自閉症スペクトラムやダウン症候群など)を持った子どもたちが、公文式学習で非常に大きな成果を上げていることです。彼らの成長を目の当たりにして、やはり公文式教材は、人間の学習や発達について本質的なところを押さえているのだと確信できました。
3つ目は、教室そのものにあります。
公文式の本質は、教材そのものだけではないと考えています。
教材の影響というのは、私の考えでは最大で50%まで。
あとの50%以上が、教室での指導者の関わりだと思います。
子どもたちが自立学習を頑張っている時に、教室という場で一声の声かけで上手にフォローする、これが大きいと考えています。
Q.発達心理学の原理に則して、「教室という場」で起きていることについて、もう少し詳しくお聞かせください。
公文式学習は、算数・数学、国語、あるいは英語といった教科の知識や技能的なことを身につけられる学習システムだと一般的には受け取られているように思います。しかし私は、公文式の本質は、そうした直接的な学力向上だけが目的ではないと見ています。教室では、先生やスタッフの皆さんを介して、子どもたちがそれぞれの段階に合ったレベルで学習に挑戦していく、そのなかでのやりとりがとても重要だと思っています。
子どもの学びにおいては、学習内容以前に、「ここでどんなことを学習するのか?」、そして「学習することは本当に自分にとって意味があるものなのか?」を確かめる時期があります。
まずは先生とのやりとりを通じて、子どもたちは「ここでは落ち着いて自分の学習ができる」ということを認識し、大事な土台作りをします。
そして先生と話をすることで、勇気をもらって頑張ってみようという気持ちになり、そのあとに教材の中身の理解に入っていく、というプロセスがあります。
私は、公文式は、子どもの発達に即した、科学的にも非常にナチュラルな教育システムだと考えています。
Q.公文式学習の特徴の一つでもある「日々の積み重ね」は、子どもの発達の観点からはどのような意味がありますか?
子どもたちは、0歳の段階から達成感を求めて行動しているところが見られます。
これを私たちは、「自己効力感」、あるいは「自己効果感」と言っています。
これが大きな動機づけとなって、さまざまな積極的な活動が起こり、持って生まれたポテンシャルである大きな学習能力を発揮できるのです。
子どもたちは常に、自分のやってきたことを自分自身で評価しています。ですから日々の「達成感」とともに自己評価の積み重ねがあることは、子どもの発達においてとても大事なことなのです。
じつは私が一番最初に公文式に惹かれたのは、そういうシステムを持っていたからなんです。
教材には、はじめに導入があり、例題を手がかりに「自分の力でやってみる」という流れがあります。
そして、教材が終わったら採点。
心理学でいう“即時フィードバック”があります。
採点をしてできたところは丸をつけて、「よく頑張ったね」「本当によくできたよ」とほめられる。
一方で、ミスをしたところは「ここはもう一回見直してみよう」ということになります。
子どもたちの満足そうな顔やガッカリした表情、そういう悲喜こもごものある教室風景は、公文式学習の大きな特質だと考えます。
Q.KUMONは今年創立60周年を迎えました。
KUMONにかかわる全ての人に向けて、先生からメッセージをいただけますか?
発達心理学では、これまで人間の精神的発達、とりわけ知的発達の研究に取り組んできたのですが、近年、「社会的能力の発達」が注目されるようになってきました。
社会的能力の発達がベースにないと、本当の知的発達は起きないということがわかってきたからです。
その観点から考えると、公文式教室での先生とのコミュニケーションを通じて、子どもたちが社会力を身につけ、そのうえで自力学習へと導けば、子どもたちは持って生まれた大きな学習能力を十分に発揮できます。
その意味では、公文式はとても重要な発達支援教育の根幹、王道を示しています。
公文式は、長い歴史のなかで科学的な検証とともにさまざまな論評を受けてきました。
KUMONにかかわる方々には、科学的な観点にも注目し、改めて公文式が非常に大きな、優位な子どもの発達支援材料であることを認識していただきたいですね。
特に、子どもたちの発達のベースづくりともいえるBaby Kumonプログラムをぜひ世の中に広めていっていただきたいと思います。
人はいろいろな人と関わることで発達し続ける親や友だち、保育士や先生など、子どもはさまざまな人と関わりながら大人になります。
その過程で、どのような関係性やどういう側面が発達に影響をおよぼすのか。
私はそれを明らかにしようと研究を続けています。
最近では歌いかけや読み聞かせの影響を中心に研究していますが、その際、高齢者と小学生がひとつのチームになって、乳幼児に読み聞かせをするという試みもしています。
なぜそうするかというと、さまざまな世代の人との交流が、子どもたちの発達を促すと予測したからです。
興味深いのは、読み聞かせを「受ける」乳幼児はもとより、「する」側の小学生たちと高齢者も変化していく、つまり発達していくのが見てとれることです。
一般的な発達の過程を簡潔に説明しておきましょう。
例えば0~1歳の乳児期には、基本的に身近な一人の大人、多くは母親ですが、その一人とやりとりすればよく、そこから「自分には頼れる人がいる」と安心感や信頼感を得て、ひとつ大きな発達を遂げます。
幼児期になると、友だちと触れ合うようになりますが、すべてのことを受け入れてくれた母親とは違い、思うようにはいきません。
戸惑いを感じ、「自分とは異なる人がいるんだ」ということを受け入れざるを得なくなります。
ここでも子どもは急速な発達を遂げます。
他者の存在に気づくと、人とつき合う態度だけでなく、自分の欲求をコントロールできるようにもなるからです。これを「発達課題の達成」といいます。
同様に、児童期・思春期・青年期とさまざまな人と関わるなかで、いろいろな発達課題が生まれますが、それを葛藤しながら乗り越えて達成していくと、またひとつ大きく伸びます。
その意味では人間はさまざまな人との関わりを続けていく限り、生涯発達していく可能性があるといえ、成人期以降も発達が止まることは原理的にはありません。
発達が止まるとすれば、つき合う人の範囲が固定されたり、発達課題にチャレンジしなくなったりするからです。
成人期以降は個人差がものすごくあり、チャレンジングな人は高齢でもどんどん伸びます。
いろんな人たちと関わっていこうという積極的な気持ちがあれば、ずっと発達し続けるのです。
母の背中を見て「人を支えること」の素晴らしさを知る
私は「心の不思議さ」には子どものころから興味はあったものの、それを職業にするとは思ってもいませんでした。
小さいころは電車の運転手、中学では教師や医者、高校時代は弁護士と、なりたい職業はさまざまでした。
ただ、「困っている人を助ける職業に就きたい」という思いはありましたね。
私には身体障害のある身内がいて、ずっと一緒に生きてきたことが、その背景にあるのだと思います。
もうひとつ大きな影響を受けたのは、中学校の教師をしていた母の存在です。
いわゆる不良たち、あるいはいじめを受けた生徒たちをわが家に呼んで、食事をともにしていました。
私はその生徒たちに嫉妬するわけでもなく、一緒に遊んだりするなかで、彼らの苦労も理解するようになり、そんな彼らを自宅に呼んで居場所をつくろうとしている母の姿から、「人というのは、人を支えることに喜びを感じるのだ」ということを学びました。
心理学への関心は、多感な思春期に、「自分はどういう存在なのか」と考えたことが原点かもしれません。近所のカトリック教会で説教を聞く機会があり、そこでますます「人間とは?」という思索を深めるようになりました。
そこから人の心への関心が生まれたのです。
高校生時代には、たまたま自宅にあった「心を診療する内科」というサブタイトルのついた、
池見酉次郎先生(いけみ ゆうじろう、心身医学者)の『心療内科』(中公新書)という本を読み、身体をコントロールする心の不思議さにひかれ、それを解明したいと思うようになりました。
そして心理学を学ぶため、東京教育大学(現・筑波大学)を第一志望で受験したのですが、不合格。第二志望だった東京外国語大学に進みます。そこで「外交官になろう」と、語学の習得に励む一方で、心理学にも未練があり、サークルは心理学研究会に所属していました。
月日は流れ、いよいよ就職という時期になります。
70年安保による長期の大学紛争にまともにぶつかり、心もすさんでいましたので「雇ってくれるならどこでも」と、銀行に内定が決まりました。
けれども、卒業まであと半年というとき、ふと、「銀行で働くのでいいのか?」と、初めて本気で自分の人生を考えました。「心の不思議を解明したい」「人を支える仕事がしたい」という潜在的な気持ちがくすぶっていたのでしょう。
悩みに悩みましたが、卒論も迫ってきていました。
専攻はロシア語で、心理学は勉強していません。
せめて卒論は心理学をと、ロシアの心理学について書くことにしました。
外国語を学ぶ大学なので、言葉の側面からテーマを探し、「言葉が思考をつくる」という理論を提唱したロシアの心理学者レフ・ヴィゴツキーに行き着きます。
担当教授と卒論の話を進めていくうちに、「実は心理学の道に進もうか悩んでいる」と打ち明けると、「人間その気になったらできる」と大学院の受験を勧められ、挑戦することに。
本格的に勉強したのは卒論提出後の約1か月間。
それまで生きてきたなかで一番勉強しました。
大学院を受験しようと決めたのは、卒論を書くために通っていた保育園での経験も影響しています。
研究データを集めるため、子どもたち全員と仲良くする必要がありましたが、一人だけ、私を無視して話もしてくれない子どもに出会ったのです。
今でいう発達障害児だったのですが、当時そんなことは知る由もなく“知らぬが仏”で、粘りづよく接していたら熱意が通じたのか、しゃべってくれるようになりました。
卒論執筆前にその子のことを園長先生に報告したところ、「本当にあの子がこう言ったの? 園では一度も話したことがない子なのに、そんなことを考えていたのね。
ありがとう」ととても感謝されたのです。この経験が、心のどこかにあった「人を支えたい」という思いと結びつき、「心理学の技法を使って、こういう子たちのために働きたい」と、あらためて思うようになったのです。
大学院受験の結果は合格。
まさに火事場のばか力でした。
安堵したとたん、内定をもらっていたことを思い出しました。
すでに入行1ヵ月前で、あわてて銀行へ事情説明に行きました。
すると人事担当者は、「同業他社に行くなら納得できないが、そういう道へ進むのであれば喜んで送り出しましょう。
将来、わが社を指導してくれるくらい、立派な研究者になってください」と言ってくれたのです。気持ちや志があれば、それに沿うような人々との出会いがあり、そうした出会いがまた人生を進めていくものなのだと、つくづく思いました。
子どもたちから教えられ、自分の至らなさに気づいた大学院生時代– もって生まれた学習能力は“人間の生きる力”でもある– 「伸び悩む時期」というのは、実はつぎに伸びるための「準備期」
子どもたちから反発を食らい、自分のいたらなさに気づく
私には「心理学の技法を使って、障害をもった子と実践の場で働く」という目標があったので、東京大学の大学院では心理学の勉強に邁進します。
入学後、すぐに障害児施設に通い、子どもたちの生活指導支援を3年間行いました。
昼は施設と大学院、夜は家庭教師という多忙な日々でしたが、辛いことは一切なく、とても楽しく、たくさんのことを学びました。
ところがあるとき、施設の子どもたちから大きな反発を食らいます。
私は障害のある身内とずっと一緒に生きてきたこともあり、「この子たちをかばわなければ、守らなければ」という気負った思いで関わっていた自分に気づきました。
子どもたちにとってみれば、そういう一方的な思いは迷惑だったのでしょう。
もっと相手の立場を尊重し、相手からも学びながら関わっていかないと本当の実践はできないと強く感じました。
この体験があり、それからは実践の場をサポートする研究者の道を歩むことになります。
大学院修了の後、北海道大学の乳幼児発達臨床センターで、乳幼児期の子どもたちと接しながら研究をし、母校の東京外国語大学にもどったのは37歳のときでした。
その後も研究を続け、58歳のとき白百合女子大学に移りました。
当時「日本の発達心理学のメッカ」と言われたほど、そうそうたる先生方が活動しておられた大学で、小生もそこに発達心理学の研究交流センターを創りたいと考えたからです。
夢のような思いが実り、学内だけでなく学外や国際的な共同研究もできるようになりました。
さらに実践者と研究者、企業などとコラボレーションできる機関として、2008年に生涯発達研究教育センターの創設に至りました。
発達が遅れても、環境を整えれば必ず取りもどせる。
センターの合言葉は「原理的に人は生涯発達しつづける存在である」。
ただ、それにはそれぞれの発達段階で、発達課題を達成するための条件があります。
それを具体化して保育や教育などの実践の場、あるいは家庭の子育てにつなげていくことが、このセンターの本来的な役割です。
これまでのセンターの研究成果のひとつとして、乳幼児期における歌いかけや読み聞かせは、社会力*を高め、思考力を養うのを促進することがわかりました。
社会力と思考力は人が発達するために基盤となる力です。
歌・読み聞かせで言葉を覚えるというのは、ついでの成果といってもいいほど。
その観点から言うと、歌・読み聞かせプログラムを30年来推し進めているKUMONは、子どもたちの発達の根幹をサポートしているといえるでしょう。
*社会力:「人が人とつながり、社会をつくっていく力」(筑波大学・門脇厚司教授による造語)
そもそも人間は、スイスの発達心理学者ジャン・ピアジェが言うように、高い学習能力をもって生まれてきます。例えば赤ちゃんは初めて見るものに「甘いものかしら」と予測してペロペロなめる。
ところが苦いと、「アッ、これはなめてはいけないものだ」と理解する。結果や応答が自分の予測と違っていたら、違っていた部分を新たな情報としてとり込み、さらに学習していくのです。
いまの場合は「もの」でしたが、赤ちゃんの対象が「人」だったらどうでしょうか。
赤ちゃんは笑ったり泣いたりしながら、自分の周りにいる人と関わりをもとうとします。
このとき、周りの人から何の応答もなかったとしたら、どうでしょうか。
もって生まれた学習能力を使わなくなります。
つまり、笑っても泣いても誰も相手をしてくれなかったら、赤ちゃんは笑わなくなり泣かなくなり、あっという間に発達が遅れてしまうのです。
でも、大丈夫。
遅れは原理的にはいつでも取りもどせます。
遅れているのは、もって生まれた大きな学習能力が使われていなかったからです。
“人間の生きる力”ともいうべき学習能力は、発達の原点(出発点)にもどり、発達課題に対しステップを切って使うように環境を整えれてやれば、5歳であっても40歳であっても、比較的短期間で再生するのです。
もって生まれた学習能力をどう積極的に使わせるか、そして学習能力を効果的に使える場をどう提供するかが、子育て、教育であり、本質的な学習支援・発達支援なのです。
ここで大切なのは、人は本来、自ら興味を持った事柄はあっという間に学んでしまうということ。
「これを学びなさい」では身につきにくいのですが、自ら考え、やってみて、納得したことは、すぐに自分のものになります。
このサイクルをうまく回せば、新しいことをすぐに学び、ぐんぐん伸びるのですが、やっていくうちに伸び悩み、やめたいと思うときも出てきます。
けれども、そこであきらめず、こだわって続けることが大切です。
なぜなら、学習は「一直線に伸びる」のではなく、「伸びる時期」と「伸び悩みの時期」とを交互にくり返しながら「伸びる」からです。
学習・仕事・研究、どれも同じだと思いますが、伸び悩んで最初の壁であきらめたら「素人」のレベルですが、我慢して続ければ、それまでの半分の時間で2倍から4倍の成果が出るようになります。
ですので、この段階であきらめないよう、周りからのアドバイスや支援が必要です。
しかし、やはりまた壁に当たります。
それでも2回目の壁を乗り越えるのはそう難しいことではなく、すでに周りの人と比べると高いレベルにありますので、本人が積極的に先輩に教えを乞いに行ったり、新しい視点や技術を獲得したりするようになりますので、比較的容易に乗り越えられるのです。
そうして乗り越えると、最初の段階の1/3の時間で9~10倍の成果が出るようになります。
こうなると「玄人」のレベルになり、それで飯が食えるようになる出発点に立てるのです。
この「伸びる時期」(発展期)と「伸び悩みの時期」(準備期)の関係を図に表すと、Sの字をちょっと傾かせたようなカーブになります。これを「学習曲線」といい、何事も、究めるためには、S字をまず3回経験することが必要とされています。
「伸び悩みの時期」は、つぎの発達のための準備期間なのです。
ですから、伸び悩んでも2回までは我慢して続けることです。
3回飽きたら、向いていないのだとあきらめてもいいでしょう。
それまでは徹底的に続けること、再チャレンジすることをお勧めします。
私自身をふり返っても、深くこだわったことが、自分の方向性を決めてきたと感じています。
回り道はしましたが、私は心理学の道に進むことができました。
以上
私も小学生時代に公文式に出逢い、中学生時代に井尻にある塾に通い、勉強に対する意識が変化していったことを思い出します。塾では、ソフトボールをしたりとか、結構ユニークな塾でした。
この記事は、母(公文教室の先生で84歳現役です)からの紹介で、スポーツと通じるものがあると思いましたので、紹介させていただきました。
スポーツの持つ力も人と人との関わりの中で成長されているということ。
教えられたカリキュラム等だけではないということ。
発達心理学者 田島信元先生 前編
もって生まれた学習能力は衰えることはない
人は生涯にわたって発達し続ける
http://www.kumon.ne.jp/kumonnow/special/007_1/
自分がこだわって経験したことは、ムダなことはひとつもなく、後に必ず生きてきます。
その意味では、大人も子どもも、自分のいいところ、好きなことを徹底的に伸ばすのがいいでしょう。
ひとつのことに可能な限りこだわれば、それが自分の個性、そして生きがいになるのだと思います。
https://youtu.be/L9g09ViUFuk
KUMONレポート ~学び合う指導者編~
私が考える公文式の価値は3つほどあります。
1つ目は、発達心理学の原理を見事に包括しているシステムであるという点です。
私は公文式と出会う以前、大学附属の幼稚園で子どもたちに数や言葉を教えていたのですが、なかなかうまくいきませんでした。
その時に、公文公(くもんとおる)会長の『公文式算数の秘密』(廣済堂出版)を読んで、「こんな画期的な教育システムと教材があるのか!」と驚きました。その内容は、後に10年間くらいにわたって研究した結果、じつに見事に発達心理学の原理を包括していたのです。
しかも、私ども玄人でも舌を巻くような実践レベルのシステムであるということに大きなインパクトを受けました。
2つ目は、障害(自閉症スペクトラムやダウン症候群など)を持った子どもたちが、公文式学習で非常に大きな成果を上げていることです。彼らの成長を目の当たりにして、やはり公文式教材は、人間の学習や発達について本質的なところを押さえているのだと確信できました。
3つ目は、教室そのものにあります。
公文式の本質は、教材そのものだけではないと考えています。
教材の影響というのは、私の考えでは最大で50%まで。
あとの50%以上が、教室での指導者の関わりだと思います。
子どもたちが自立学習を頑張っている時に、教室という場で一声の声かけで上手にフォローする、これが大きいと考えています。
Q.発達心理学の原理に則して、「教室という場」で起きていることについて、もう少し詳しくお聞かせください。
公文式学習は、算数・数学、国語、あるいは英語といった教科の知識や技能的なことを身につけられる学習システムだと一般的には受け取られているように思います。しかし私は、公文式の本質は、そうした直接的な学力向上だけが目的ではないと見ています。教室では、先生やスタッフの皆さんを介して、子どもたちがそれぞれの段階に合ったレベルで学習に挑戦していく、そのなかでのやりとりがとても重要だと思っています。
子どもの学びにおいては、学習内容以前に、「ここでどんなことを学習するのか?」、そして「学習することは本当に自分にとって意味があるものなのか?」を確かめる時期があります。
まずは先生とのやりとりを通じて、子どもたちは「ここでは落ち着いて自分の学習ができる」ということを認識し、大事な土台作りをします。
そして先生と話をすることで、勇気をもらって頑張ってみようという気持ちになり、そのあとに教材の中身の理解に入っていく、というプロセスがあります。
私は、公文式は、子どもの発達に即した、科学的にも非常にナチュラルな教育システムだと考えています。
Q.公文式学習の特徴の一つでもある「日々の積み重ね」は、子どもの発達の観点からはどのような意味がありますか?
子どもたちは、0歳の段階から達成感を求めて行動しているところが見られます。
これを私たちは、「自己効力感」、あるいは「自己効果感」と言っています。
これが大きな動機づけとなって、さまざまな積極的な活動が起こり、持って生まれたポテンシャルである大きな学習能力を発揮できるのです。
子どもたちは常に、自分のやってきたことを自分自身で評価しています。ですから日々の「達成感」とともに自己評価の積み重ねがあることは、子どもの発達においてとても大事なことなのです。
じつは私が一番最初に公文式に惹かれたのは、そういうシステムを持っていたからなんです。
教材には、はじめに導入があり、例題を手がかりに「自分の力でやってみる」という流れがあります。
そして、教材が終わったら採点。
心理学でいう“即時フィードバック”があります。
採点をしてできたところは丸をつけて、「よく頑張ったね」「本当によくできたよ」とほめられる。
一方で、ミスをしたところは「ここはもう一回見直してみよう」ということになります。
子どもたちの満足そうな顔やガッカリした表情、そういう悲喜こもごものある教室風景は、公文式学習の大きな特質だと考えます。
Q.KUMONは今年創立60周年を迎えました。
KUMONにかかわる全ての人に向けて、先生からメッセージをいただけますか?
発達心理学では、これまで人間の精神的発達、とりわけ知的発達の研究に取り組んできたのですが、近年、「社会的能力の発達」が注目されるようになってきました。
社会的能力の発達がベースにないと、本当の知的発達は起きないということがわかってきたからです。
その観点から考えると、公文式教室での先生とのコミュニケーションを通じて、子どもたちが社会力を身につけ、そのうえで自力学習へと導けば、子どもたちは持って生まれた大きな学習能力を十分に発揮できます。
その意味では、公文式はとても重要な発達支援教育の根幹、王道を示しています。
公文式は、長い歴史のなかで科学的な検証とともにさまざまな論評を受けてきました。
KUMONにかかわる方々には、科学的な観点にも注目し、改めて公文式が非常に大きな、優位な子どもの発達支援材料であることを認識していただきたいですね。
特に、子どもたちの発達のベースづくりともいえるBaby Kumonプログラムをぜひ世の中に広めていっていただきたいと思います。
人はいろいろな人と関わることで発達し続ける親や友だち、保育士や先生など、子どもはさまざまな人と関わりながら大人になります。
その過程で、どのような関係性やどういう側面が発達に影響をおよぼすのか。
私はそれを明らかにしようと研究を続けています。
最近では歌いかけや読み聞かせの影響を中心に研究していますが、その際、高齢者と小学生がひとつのチームになって、乳幼児に読み聞かせをするという試みもしています。
なぜそうするかというと、さまざまな世代の人との交流が、子どもたちの発達を促すと予測したからです。
興味深いのは、読み聞かせを「受ける」乳幼児はもとより、「する」側の小学生たちと高齢者も変化していく、つまり発達していくのが見てとれることです。
一般的な発達の過程を簡潔に説明しておきましょう。
例えば0~1歳の乳児期には、基本的に身近な一人の大人、多くは母親ですが、その一人とやりとりすればよく、そこから「自分には頼れる人がいる」と安心感や信頼感を得て、ひとつ大きな発達を遂げます。
幼児期になると、友だちと触れ合うようになりますが、すべてのことを受け入れてくれた母親とは違い、思うようにはいきません。
戸惑いを感じ、「自分とは異なる人がいるんだ」ということを受け入れざるを得なくなります。
ここでも子どもは急速な発達を遂げます。
他者の存在に気づくと、人とつき合う態度だけでなく、自分の欲求をコントロールできるようにもなるからです。これを「発達課題の達成」といいます。
同様に、児童期・思春期・青年期とさまざまな人と関わるなかで、いろいろな発達課題が生まれますが、それを葛藤しながら乗り越えて達成していくと、またひとつ大きく伸びます。
その意味では人間はさまざまな人との関わりを続けていく限り、生涯発達していく可能性があるといえ、成人期以降も発達が止まることは原理的にはありません。
発達が止まるとすれば、つき合う人の範囲が固定されたり、発達課題にチャレンジしなくなったりするからです。
成人期以降は個人差がものすごくあり、チャレンジングな人は高齢でもどんどん伸びます。
いろんな人たちと関わっていこうという積極的な気持ちがあれば、ずっと発達し続けるのです。
母の背中を見て「人を支えること」の素晴らしさを知る
私は「心の不思議さ」には子どものころから興味はあったものの、それを職業にするとは思ってもいませんでした。
小さいころは電車の運転手、中学では教師や医者、高校時代は弁護士と、なりたい職業はさまざまでした。
ただ、「困っている人を助ける職業に就きたい」という思いはありましたね。
私には身体障害のある身内がいて、ずっと一緒に生きてきたことが、その背景にあるのだと思います。
もうひとつ大きな影響を受けたのは、中学校の教師をしていた母の存在です。
いわゆる不良たち、あるいはいじめを受けた生徒たちをわが家に呼んで、食事をともにしていました。
私はその生徒たちに嫉妬するわけでもなく、一緒に遊んだりするなかで、彼らの苦労も理解するようになり、そんな彼らを自宅に呼んで居場所をつくろうとしている母の姿から、「人というのは、人を支えることに喜びを感じるのだ」ということを学びました。
心理学への関心は、多感な思春期に、「自分はどういう存在なのか」と考えたことが原点かもしれません。近所のカトリック教会で説教を聞く機会があり、そこでますます「人間とは?」という思索を深めるようになりました。
そこから人の心への関心が生まれたのです。
高校生時代には、たまたま自宅にあった「心を診療する内科」というサブタイトルのついた、
池見酉次郎先生(いけみ ゆうじろう、心身医学者)の『心療内科』(中公新書)という本を読み、身体をコントロールする心の不思議さにひかれ、それを解明したいと思うようになりました。
そして心理学を学ぶため、東京教育大学(現・筑波大学)を第一志望で受験したのですが、不合格。第二志望だった東京外国語大学に進みます。そこで「外交官になろう」と、語学の習得に励む一方で、心理学にも未練があり、サークルは心理学研究会に所属していました。
月日は流れ、いよいよ就職という時期になります。
70年安保による長期の大学紛争にまともにぶつかり、心もすさんでいましたので「雇ってくれるならどこでも」と、銀行に内定が決まりました。
けれども、卒業まであと半年というとき、ふと、「銀行で働くのでいいのか?」と、初めて本気で自分の人生を考えました。「心の不思議を解明したい」「人を支える仕事がしたい」という潜在的な気持ちがくすぶっていたのでしょう。
悩みに悩みましたが、卒論も迫ってきていました。
専攻はロシア語で、心理学は勉強していません。
せめて卒論は心理学をと、ロシアの心理学について書くことにしました。
外国語を学ぶ大学なので、言葉の側面からテーマを探し、「言葉が思考をつくる」という理論を提唱したロシアの心理学者レフ・ヴィゴツキーに行き着きます。
担当教授と卒論の話を進めていくうちに、「実は心理学の道に進もうか悩んでいる」と打ち明けると、「人間その気になったらできる」と大学院の受験を勧められ、挑戦することに。
本格的に勉強したのは卒論提出後の約1か月間。
それまで生きてきたなかで一番勉強しました。
大学院を受験しようと決めたのは、卒論を書くために通っていた保育園での経験も影響しています。
研究データを集めるため、子どもたち全員と仲良くする必要がありましたが、一人だけ、私を無視して話もしてくれない子どもに出会ったのです。
今でいう発達障害児だったのですが、当時そんなことは知る由もなく“知らぬが仏”で、粘りづよく接していたら熱意が通じたのか、しゃべってくれるようになりました。
卒論執筆前にその子のことを園長先生に報告したところ、「本当にあの子がこう言ったの? 園では一度も話したことがない子なのに、そんなことを考えていたのね。
ありがとう」ととても感謝されたのです。この経験が、心のどこかにあった「人を支えたい」という思いと結びつき、「心理学の技法を使って、こういう子たちのために働きたい」と、あらためて思うようになったのです。
大学院受験の結果は合格。
まさに火事場のばか力でした。
安堵したとたん、内定をもらっていたことを思い出しました。
すでに入行1ヵ月前で、あわてて銀行へ事情説明に行きました。
すると人事担当者は、「同業他社に行くなら納得できないが、そういう道へ進むのであれば喜んで送り出しましょう。
将来、わが社を指導してくれるくらい、立派な研究者になってください」と言ってくれたのです。気持ちや志があれば、それに沿うような人々との出会いがあり、そうした出会いがまた人生を進めていくものなのだと、つくづく思いました。
子どもたちから教えられ、自分の至らなさに気づいた大学院生時代– もって生まれた学習能力は“人間の生きる力”でもある– 「伸び悩む時期」というのは、実はつぎに伸びるための「準備期」
子どもたちから反発を食らい、自分のいたらなさに気づく
私には「心理学の技法を使って、障害をもった子と実践の場で働く」という目標があったので、東京大学の大学院では心理学の勉強に邁進します。
入学後、すぐに障害児施設に通い、子どもたちの生活指導支援を3年間行いました。
昼は施設と大学院、夜は家庭教師という多忙な日々でしたが、辛いことは一切なく、とても楽しく、たくさんのことを学びました。
ところがあるとき、施設の子どもたちから大きな反発を食らいます。
私は障害のある身内とずっと一緒に生きてきたこともあり、「この子たちをかばわなければ、守らなければ」という気負った思いで関わっていた自分に気づきました。
子どもたちにとってみれば、そういう一方的な思いは迷惑だったのでしょう。
もっと相手の立場を尊重し、相手からも学びながら関わっていかないと本当の実践はできないと強く感じました。
この体験があり、それからは実践の場をサポートする研究者の道を歩むことになります。
大学院修了の後、北海道大学の乳幼児発達臨床センターで、乳幼児期の子どもたちと接しながら研究をし、母校の東京外国語大学にもどったのは37歳のときでした。
その後も研究を続け、58歳のとき白百合女子大学に移りました。
当時「日本の発達心理学のメッカ」と言われたほど、そうそうたる先生方が活動しておられた大学で、小生もそこに発達心理学の研究交流センターを創りたいと考えたからです。
夢のような思いが実り、学内だけでなく学外や国際的な共同研究もできるようになりました。
さらに実践者と研究者、企業などとコラボレーションできる機関として、2008年に生涯発達研究教育センターの創設に至りました。
発達が遅れても、環境を整えれば必ず取りもどせる。
センターの合言葉は「原理的に人は生涯発達しつづける存在である」。
ただ、それにはそれぞれの発達段階で、発達課題を達成するための条件があります。
それを具体化して保育や教育などの実践の場、あるいは家庭の子育てにつなげていくことが、このセンターの本来的な役割です。
これまでのセンターの研究成果のひとつとして、乳幼児期における歌いかけや読み聞かせは、社会力*を高め、思考力を養うのを促進することがわかりました。
社会力と思考力は人が発達するために基盤となる力です。
歌・読み聞かせで言葉を覚えるというのは、ついでの成果といってもいいほど。
その観点から言うと、歌・読み聞かせプログラムを30年来推し進めているKUMONは、子どもたちの発達の根幹をサポートしているといえるでしょう。
*社会力:「人が人とつながり、社会をつくっていく力」(筑波大学・門脇厚司教授による造語)
そもそも人間は、スイスの発達心理学者ジャン・ピアジェが言うように、高い学習能力をもって生まれてきます。例えば赤ちゃんは初めて見るものに「甘いものかしら」と予測してペロペロなめる。
ところが苦いと、「アッ、これはなめてはいけないものだ」と理解する。結果や応答が自分の予測と違っていたら、違っていた部分を新たな情報としてとり込み、さらに学習していくのです。
いまの場合は「もの」でしたが、赤ちゃんの対象が「人」だったらどうでしょうか。
赤ちゃんは笑ったり泣いたりしながら、自分の周りにいる人と関わりをもとうとします。
このとき、周りの人から何の応答もなかったとしたら、どうでしょうか。
もって生まれた学習能力を使わなくなります。
つまり、笑っても泣いても誰も相手をしてくれなかったら、赤ちゃんは笑わなくなり泣かなくなり、あっという間に発達が遅れてしまうのです。
でも、大丈夫。
遅れは原理的にはいつでも取りもどせます。
遅れているのは、もって生まれた大きな学習能力が使われていなかったからです。
“人間の生きる力”ともいうべき学習能力は、発達の原点(出発点)にもどり、発達課題に対しステップを切って使うように環境を整えれてやれば、5歳であっても40歳であっても、比較的短期間で再生するのです。
もって生まれた学習能力をどう積極的に使わせるか、そして学習能力を効果的に使える場をどう提供するかが、子育て、教育であり、本質的な学習支援・発達支援なのです。
ここで大切なのは、人は本来、自ら興味を持った事柄はあっという間に学んでしまうということ。
「これを学びなさい」では身につきにくいのですが、自ら考え、やってみて、納得したことは、すぐに自分のものになります。
このサイクルをうまく回せば、新しいことをすぐに学び、ぐんぐん伸びるのですが、やっていくうちに伸び悩み、やめたいと思うときも出てきます。
けれども、そこであきらめず、こだわって続けることが大切です。
なぜなら、学習は「一直線に伸びる」のではなく、「伸びる時期」と「伸び悩みの時期」とを交互にくり返しながら「伸びる」からです。
学習・仕事・研究、どれも同じだと思いますが、伸び悩んで最初の壁であきらめたら「素人」のレベルですが、我慢して続ければ、それまでの半分の時間で2倍から4倍の成果が出るようになります。
ですので、この段階であきらめないよう、周りからのアドバイスや支援が必要です。
しかし、やはりまた壁に当たります。
それでも2回目の壁を乗り越えるのはそう難しいことではなく、すでに周りの人と比べると高いレベルにありますので、本人が積極的に先輩に教えを乞いに行ったり、新しい視点や技術を獲得したりするようになりますので、比較的容易に乗り越えられるのです。
そうして乗り越えると、最初の段階の1/3の時間で9~10倍の成果が出るようになります。
こうなると「玄人」のレベルになり、それで飯が食えるようになる出発点に立てるのです。
この「伸びる時期」(発展期)と「伸び悩みの時期」(準備期)の関係を図に表すと、Sの字をちょっと傾かせたようなカーブになります。これを「学習曲線」といい、何事も、究めるためには、S字をまず3回経験することが必要とされています。
「伸び悩みの時期」は、つぎの発達のための準備期間なのです。
ですから、伸び悩んでも2回までは我慢して続けることです。
3回飽きたら、向いていないのだとあきらめてもいいでしょう。
それまでは徹底的に続けること、再チャレンジすることをお勧めします。
私自身をふり返っても、深くこだわったことが、自分の方向性を決めてきたと感じています。
回り道はしましたが、私は心理学の道に進むことができました。
以上
私も小学生時代に公文式に出逢い、中学生時代に井尻にある塾に通い、勉強に対する意識が変化していったことを思い出します。塾では、ソフトボールをしたりとか、結構ユニークな塾でした。
この記事は、母(公文教室の先生で84歳現役です)からの紹介で、スポーツと通じるものがあると思いましたので、紹介させていただきました。
スポーツの持つ力も人と人との関わりの中で成長されているということ。
教えられたカリキュラム等だけではないということ。
発達心理学者 田島信元先生 前編
もって生まれた学習能力は衰えることはない
人は生涯にわたって発達し続ける
http://www.kumon.ne.jp/kumonnow/special/007_1/
自分がこだわって経験したことは、ムダなことはひとつもなく、後に必ず生きてきます。
その意味では、大人も子どもも、自分のいいところ、好きなことを徹底的に伸ばすのがいいでしょう。
ひとつのことに可能な限りこだわれば、それが自分の個性、そして生きがいになるのだと思います。
https://youtu.be/L9g09ViUFuk
KUMONレポート ~学び合う指導者編~



この記事へのコメント