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<<   作成日時 : 2013/07/13 23:08   >>

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鹿児島県桜島出身の彼は、

有名な遠藤3兄弟の末っ子だ。

長男・拓哉氏は鹿児島実業高校時代に

前園真聖(現解説者)とともに

高校選手権準優勝の一員となった。


次男の彰弘氏も同校で城彰二(現解説者)と同期。

アトランタ五輪に出場し、

プロとしては横浜F・マリノスなどで

14年間も活躍している。


偉大な兄たちの背中を追ってきた三男のヤットだが、

まるでガツガツしたところがなく、実に淡々としている。


準優勝した99年ワールドユース (ナイジェリア)、

2008年FIFAクラブワールドカップの

マンチェスター・ユナイテッド戦など

大舞台に立っても全く動じず、

普段どおりでいられる。



母・ ヤス子さんも「親もびっくりするくらいのマイペースな性格です」と笑っていた。



鹿実の恩師・松澤隆司総監督も

「ヤットは運動能力が高くて、

 全力を出せばダントツの1番になれる。

 それなのに、持久走をさせるといつも3〜4 番。『お前、もっと しっかりやれよ』と何度言っても、

 本人は目立とうとしない。

『そこまで必死にやらなくても、適当にこなせればそれでいい』 と考えるタイプで、

私は正直、腹が立ってしょうがなかった」

 と言う。

名将を苛立たせるほど、持てる力を出し切らない。



そういうところも、

彼のマイペースさを象徴している。


だからと言って、決して嫌味な人間ではない。


ヤットの取材対応の丁寧さは、

メディアの間でも非常に評判が高いのだ。



初めて彼に会ったのは、97年正月の選手権。

彼がまだ鹿実2年の時だった。



準々決勝で徳島商にPK負けし、

多くの選手が打ちひしがれる中、

彼は誠心誠意、取材に答えてくれた。




それもスタジアム内だけでなく、

バスが停まっている場所まで何十分も話し続けてくれたのだ。



「なんてきちんとした対応の出来る高校生だろう」と感心させられたものだが、

当時と同じ立ち振る舞いを13年が経った今も続けている。



日本代表の中心になったヤットの周りには、

常に大勢の記者が集まる。

時には何度も同じ質問が繰り返されることもある。



選手によっては

「その質問はさっき答えましたよ」とお茶を濁したり、

話の途中で逃げるように打ち切ってしまうこともあるのに、

彼は嫌な顔ひとつせずに答える。



日本代表のメディアオフィサーが

「もうそのへんで」と終わらせようとしても、

話し続けているケースが頻繁にある。



大物になればなるほど、話すのを拒んだり、
態度が変わったりする選手も少なくない中、
遠藤は本当に高校生の頃と変わらない。


そんな温かな人柄が人気の秘密なのだろう。


大物になっても変わらず「いい人」


2006年ドイツワールドカップの時も、

フィールドプレーヤーで唯一、

出場機会がなかったのに平常心を失わず、

チームに貢献しようと脇役に徹した。



ベースキャンプ地のボンで大会開幕直前に

「ヤット君はずっとサブ組で、本当に辛いだろうけど」と声をかけたことがあった。



ジーコ元監督はレギュラーと控えを完全に分けており、

不満を表に出す選手もいて、雰囲気は決して良くなかった。



けれども、彼は「ワールドカップはチームとして戦う大会だから、自分がこういう立場でもしょうがない。



少しでも他の選手を盛り立てられるように頑張らないといけないですから」と

前向きな気持ちを持ち続けていた。



96年U−16アジアユース選手権での補欠メンバーに始まって、

遠藤はジュニアユース、ユース、五輪、A代表で何度も控えを強いられてきた。



2000年シドニー五輪では補欠登録としてチームに帯同し、

同部屋だった中村俊輔のフォローを一生懸命した。



トルシエ元代表監督(現FC琉球総監督)の冷遇に不満を漏らす親友のグチを聞きながら、

ヤットは決して試合に出られない立場に耐えた。



傍目からは日ごろと変わらないように見えたが、本人の中では深く傷ついていた。


「あの時の屈辱は絶対に忘れられない。サッカー人生の中で一番 辛かった」と本人は言う。


そんな辛い経験を乗り越えてきたからこそ、

ドイツでも献身的な姿勢を失わずにいられたのだろう。



そういう態度をチームスタッフも見逃さなかった。



オシムジャパンが発足した時、

オシム前代表監督が

「ドイツに行ったメンバーで誰を残すべきだと思うか?」と問いかけた時、

あるコーチが真っ先に

「遠藤だと思います」と答えた。


「ドイツでは脇役になれる選手が少なかったけど、遠藤は主役にも脇役にもなれる数少ない存在です」
と。

それを名将は聞き入れ、遠藤を中心選手に据えた。



「オシムさんにはすべてを変えてもらった」とヤットは今も口癖のように言うが、

彼の心温まるキャラクターがあったからこそ、

指揮官からチャンスを与えてもらうことが出来た。



サッカー選手に大切なのは

ピッチ上でのテクニックだけではない。


人間性というのは成功への不可欠な要素なのである。



また、家族でもある遠藤選手の嫁さんがデンマーク戦後に日刊スポーツに書いた手記も合わせてご紹介致します。


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パパありがとう。家族の夢をかなえてくれたね。

大会前に「オランダは難しいかもしれないけど、突破できるよ。」

と言ったパパの言葉を信じていたよ。

ゴールの瞬間は涙が出ました。

パパがどれだけしんどい思いをしてここまできたかを

知っているから、自然と出ました。

子供3人が寝ていて私だけテレビを見ていたから、

周りを気にすることもなく、泣いちゃったよ。


4年前にパパが試合に出られなかった時、

遠藤家ではW杯の話は禁句だったんだよね。


あなたの気持ちが分かるから、こっちも触れなかったし、

子供らにも言わないようにと、私から言ったんです。


ドイツから帰った後のことを思い出します。

いつもより帰りが遅くなったんですよね。


「パパ、最近帰り遅くない?早く帰って子供の面倒見て」

と言った時のあなたの言葉は一生忘れないよ。



「これも仕事だから分かってくれよ。」


ガンバの練習後に、他の選手はみんな家に帰っているのに、

いつもパパの帰りが遅いから、正直、怒っていたけど、

人には内緒で筋トレを始めたんですね。



自分の努力する姿を人に見せず、陰でやるパパの

そういうところが、私は好きです。



今日のゴールは、その筋トレを4年間続けた結果かな?


せな(長女6歳)には

「次のW杯も出るから、飛行機嫌いを4年間で治してね」

と言ったでしょう?



せなも頑張ってるから、パパ家族のことは心配しないで、

サッカーに集中してください。



15歳であなたと出会って、もう15年が経ちました。


23歳で結婚して3人の子供にも恵まれて、

私の人生は最高に幸せです。



パラグアイ戦は、心花(ここな=次女3歳)も

寝かさないで家族4人で応援します。



(引用元:OCNスポーツ&コラントッテ)



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プロスポーツ選手はその競技だけでなく

人間性も伴ってこそ一流のプロなんですね。



目立った選手ではないけれど

縁の下の力持ちの

遠藤選手のファンになりました。



昨日の試合は惜しくも負けてしまいましたが

6/4のオーストラリア戦は是非勝利して

ワールドカップ出場を決めてほしいですね。


ワールドカップ出場、遠藤選手の活躍を願って


色んな方との出逢いから…


最後にオシム氏との別れの会話で…

「あなたとは、必ず、また逢うから… さよならは… 」と一言…

 マスコミのコメントも楽しみだが… 決して受け身ではなく… 今を共有しながら…

問題解決のための相談をしたいと思う…

いつか? それぞれの立場で… お会いできる日を夢みて…

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