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zoom RSS 映画『奇跡』を観て 〜歩くような速さで〜@ 是枝裕和監督

<<   作成日時 : 2011/07/08 20:23   >>

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 先日、家内と二人で久しぶりに映画『奇跡』を鑑賞してきました。

なぜ、この映画をというと、地元福岡、それも『ざっしょのくま』の銀天街商店街がロケ地の一部だったというので至って動機はシンプルですが。

内容は、すごく素朴なものを感じました。

それは、子どもたちの会話が、ただ、監督のシナリオ通りにセリフをただ読むだけはなかったから… 

 サッカーと共通する新鮮(ピュア)なものを感じました。

ストーリーは、是非、映画を観ていただいて…

簡単には…

両親の離婚で鹿児島と福岡に離れて暮らす兄弟が、九州新幹線の開業の日に、博多と鹿児島をそれぞれ発つ一番列車がすれ違う瞬間に起こると言われる“奇跡”を目撃し、願いをかなえようと旅に出る姿を瑞々しく描き出す。
http://kiseki.gaga.ne.jp/

この「子ども映画」で「大人の映画」の呼吸を支えているのは、少年少女である。 by 蓮賓重彦

 この間、西日本新聞に是枝監督のコラムがありましたので、ここに…

歩くような速さで −45

映画やテレビはあなたにとって何ですか?

そんな本質的な、だからこそ答えにくい問いに時々出会う。

「コミュニケーションです」

最近はそう答えるようにしている。

 「自己表現ではないですか?」

重ねてそう聞かれる。

ほかの監督は、知らないが、この「自己表現」という言葉が、この仕事を始めた当初からどうもしっくり来ないのである。

 「お前は何を考えているかわかりにくいやつだったけど、お前の作った番組にはお前よりもお前の感情が出てたよ」

 中学の同級生にそう言われたことがあるから、そういう意味では気付かない自分らしさのようなものが映像という具体的なものを借りる形で僕の中からしみだすことがあるのも事実なのだろう。

 ただ、そこに描かれた感情は僕の「何か」に対しての感情なのだ。

 感情が形を持つには、映画なら映画の他にもうひとつ、自分以外の何か対象が必要なのである。

感情はその外部との出会いや衝突によって生まれる。

ある風景に出会い、美しいと思う。

 しかし、では美しさというのは僕の側にあったのか?

それとも風景の側にあったのか?

私という存在を中心に考え私をその一部だと捉えるのかによってそれは百八十度異なる。

前者を西洋的、後者を東洋的とするなら僕は間違いなく後者に属する。

 「天地有情(てんちうじょう)」という言葉がある。

これは僕が最も尊敬する台湾の候孝賢(ホウシャオシェン)監督がよく色紙に書いていた言葉だが、そのような認識を僕も共有していることに、そのつながりに感動する。

 僕が作品を生んでいるのではない。

作品も感情もあらかじめ世界に内包されていて、僕はそれを拾い集めて手のひらですくい、「ほら」と見せているに過ぎない。

作品は世界との対話(コミュニケーション)である。

この世界観を謙虚で豊かだと考えるか?

作家としての弱さと考えるか。

この対立は根源的だ。

以上 是枝 裕和氏

つづく

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